保護猫の預かりブログなので、ハッピーな話だけを書くつもりでいました。でも、猫と暮らすということは、いずれその日はやってきます。

最愛のペットの死

避けては通れないことですし、飼い主の責任です。懇意にしているベテラン猫ボラさんは、里親様から訃報が届くと、最期を看取ってくれたことに感謝するといつも言っていました。

ボランティア団体や個人保護の保護猫たちは、保健所に持ち込まれた子、TNR現場で保護された子、弱って保護された子がほとんどです。



だれも何もしなかったら、その命はもっと早く消えていたかもしれません。殺処分されたり、外で交通事故や病気で誰にも気づかれずに消えてしまうことを考えると、家族として最期を看取ってもらえて、その死を悲しんでくれる人間がいるということは、幸せな猫生だったと思う、とも言っていました。

ペットロスは当たり前のこと


私はうちの子5匹を看取ってきました。まだ若い死、闘病の末の死、突然死、天寿をまっとうしたね・・・という死。





一緒に過ごした時間はそれぞれ違いますが、例外なくペットロスでしばらく立ち直れなくなってきました。一番最初の死に直面したときは、それこそ会社を何日か休むほど重症。

2回目からは、夫と娘、家族がいました。主婦となり母となったことで、寝込んでなんていられない状況に置かれていたということもありますが、普段と変わらない日常を送りました。

それでも、胸がぎゅっと鷲づかみされたような痛みは何度も襲ってきましたし、気が緩むと涙がポロポロこぼれそうになります。

しっかり悲しむこともたいせつです


うちの子たちは、死後火葬をして骨壷に入れてもらいます。こちらに引っ越してきてからは移動火葬車に来てもらっています。

最後のお別れのとき、わんわん泣きます。娘よりひどいほどです。でも、悲しいんです。淋しいんです。感情のまま骨壷をしばらくながめてぼんやり。



実は、このブログでも紹介したお義母さんの忘れ形見のフクが、4月末に亡くなりました。ちょうど引越しなど、ここ数年で一番バタバタしている時期でした。

そのことで、娘に申し訳なかったな・・・と思うのが、しっかり悲しむ時間を与えてあげることができなかった、ということです。

内装リフォームが終わらず、引越し後も何度も業者が入り、物も片付かないし生活もかなり不便なものでした。そんな慌しさを娘も十分感じていました。

フクが亡くなって2ヶ月が経とうとした頃、いきなりこう切り出しました。「私、フクが死んじゃってすごく悲しいんだよ」

あぁ、そういえば娘は感情を出し切っていなかったんだ・・・と気づきました。静かに涙を流してはいたけれど、ひと言も、何も言わなかった。

ペットロスを抱えたまま生きていく


当たり前ですが、愛猫の死はなかったことにはなりません。よく「ペットロスにならないために」というフレーズを聞きますが、私はそんなのは絶対無理だと思っています。

程度の差はある-ということではなく、それは見えている面からだけです。それに、そのとき感じた痛みは生涯消えることはないと思います。



「時間薬」という言葉がありますが、時が癒してくれるという意味かな?もっと具体的に言うと、その子がいないことに慣れる・・・その生々しい感情が薄れるだけでずいぶん違うと思うのです。

だからといって、失ったという痛みは生涯消えることなく、楽しい思い出とともにチクッと胸が痛みます。その痛みをずっと大事にしていきたいと思います。

いーっぱいのありがとうと一緒に。